昨日の友は今日の敵~「理想化とこき下ろし」白黒二極化の話

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生き辛さの原因を探り、自分を取り戻すお手伝いをしています。

新型コロナウィルス、7都府県で緊急事態宣言が発令されました。
私がいる愛知県でも、県独自の発令がされました。

自分と周りの命の危険に関わること、そして、家族や従業員の生活に関わること。
自分だけでなく周囲を守るため、相反する問題が、本当に対応を難しくしていると思います。
私も、ここずっと、何を優先するかで迷うことが続いています。

一つの行動が、どれだけリスクを上げるのかわからない。
感染リスクが100%か0%のどちらかと決まっているなら、誰も悩まないでしょう。

今、何が大切か、それぞれに考えるときだと思います。
自分の立場できることを頑張って、何とかこの困難を乗り越えていきましょう。

さてさて今日の話題は、心の100%と0%の話。

子供の頃、ヒーローもののアニメや戦隊モノは見ていましたか?
私は、好きでよく見ていました。

正義と悪と、わかりやすく対立させて、最後はヒーローが悪者を倒す。
ヒーロー(ヒロイン)に憧れました。

この正義と悪といった対立する二極化は、普段の生活に持ち込むと、
周りを、いい人悪い人と、切り分けることになります。

あの子はいい子、悪い子と、ジャッジする人を、見かけたことがあるのではないでしょうか。

人へのジャッジの二極化が、極端な場合、
人間関係を壊し、その人自身の生き辛さにもなります。

今日は、この二極化で人を判断する心理について、考えてみたいと思います。

1.人をいい人と悪い人で二極化する人

周りの人を、いい人、悪い人と、ジャッジする人。
実は私も、かつてその傾向がありました。

悪い人までの表現は使わなくても、
「好きな人と、思ったほどいい人でない人」と、自分が好きだと思う人以外は、
どこかしら嫌なところがある「好きになれない人」として見ていました。

「人を好きになる」ということに対しても、
好きな人には、一つも嫌いな部分がないことを望んでいました。

たとえ嫌な部分があっても、
それも含めて丸ごと好きになるのが、人を好きになることだ
と、とても偏った見方をしていましたね。

このような偏った見方(価値観)では、例えば、こんなことが起こります。
私の過去の価値観をもとに、例をあげてみます。

Aさん(女性)は、人懐っこい人です。
初対面で好印象の相手とは、自分の話もはずみ、すぐに親しくなります
特に同性の場合は、食事の約束をしたり、
共通の趣味があれば、一緒に出かけたりと、友人関係になります。

友人Bさんとも、すぐに仲良くなりました。
気さくで、物事にこだわらない自由なBさんは、一緒にいると、とても楽しい存在です。

しかし、何ヶ月かしたある日、約束の当日になって、
Bさんが約束のキャンセルを申し入れてきました。

Aさんは、
お店を探したり、着ていく服を考えたりと、もの凄く楽しみにしていたのです。
それに比べて、
Bさんのキャンセルの理由が、ドタキャンするまでのものに感じられません

予めわかっているんだから、急を要しないように準備しておけばよかったのに。
Aさんは、Bさんへの不満を感じながらも、渋々OKを出しました。

なんだか、自分を軽く扱われた気がします。段々と怒りが湧いてきました。
頭の中は、Bさんのことで一杯で、
急に、それまで気に留めていなかった出来事が思い出されてきました。
そういえば、あのとき、このときと、相手の嫌なところを並び立てていくのです。

あんなに好きだったBさんへの評価が、
平気でドタキャンをする無神経な人、に変わっていました。

このように、急激に人と近くなり
自分にとって何か嫌なものを感じると相手への評価が一変する状態は、
理想化とこき下ろし」と呼ばれています。

出会って好印象のときは100%の理想の人と評価し、
ドタキャンなど、自分がぞんざいに扱われたように感じると0%の酷い人と酷評する、
二極しか存在しないといった歪んだ価値観です。

現実に100%の自分の理想の人は、まず存在しないでしょう。
それなのに、相手に100%を求める。

これでは、人間関係が破綻していっても、おかしくありません。

2.二極化で考える人の心理

昨日まで100%理想の人が、今日から0%の酷い人と評価が一変する。

他の人から見れば極端だなと思うようなことでも、
この傾向を持っている人の中では、自分の中の正当な基準で評価した結果なのです。

本来、人はいろんな要素を多面的に持っています。
しかし二極化傾向の人は、 一人の人が、この多面的な要素で出来ているとの捉え方ができません。

二極化は白黒とも呼ばれますが、

相手の白い部分を見ているときは、相手のすべてが白

相手の黒い部分を見ているときは、相手のすべてが黒

このような見え方に、なるのです。

この見え方の偏りは、たとえ頭で気づいても、心が追いつかなかったりします。

一度黒とした人は、自分が嫌な思いをする相手だ!と、相手を黒にしておくことで、
自分がこれ以上傷つかないように、自分の心を守っているのです。

人を偏った見方しかできない白黒の価値観は、
相手の中には、無数の白も、黒も、間のグレーも、あることが、見えないのです。


心の中で起こっていること

なぜこのような白黒二極化の価値観になるのか。
このように考えます。

二極化傾向にある人は、他人の多面性が認められないのと同じように、
自分自身の多面性が認められません。

自分の中に良い自分、悪い自分がバラバラに存在し、
統合された自分が捉えられない状態にあります。

自分の存在が不確かゆえに、
他人に自分を映し出して、他人の反応で自分のイメージを捉えます。

良い反応なら良い自分を感じ、悪い反応なら悪い自分を感じるといった、
自分の良し悪しが、他人の反応によって左右されます。

人に一つ褒められれば上機嫌になり、
人に一つ注意されるだけで急激に落ち込んだりと、一喜一憂していませんか?

他人の一部をクローズアップして二極化でジャッジするのと同じように、
自分にも、希望に満ちた理想化で喜んだり、ダメな自分をこき下ろす、
ということをしているんですね。

この不安定さについては、成長過程で、
良い部分と悪い部分を統合した自分という感覚を獲得できずにきたと考えられます。

乳幼児期を中心に、親を通して、
良い部分も悪い部分もどちらも同じ一人の人である、との感覚を身につけていくのですが、
親から健全な関わりを得られないなどにより、
良い部分や悪い部分の多面性に対して、バラバラに存在した認識が続いていると考えられます。

これには、自分と他人の境界線の感覚も関連してきます。

自分と他人は別の人間であり、
人には良い部分も悪い部分も多面にある=その人

との認識が、健全な感覚であるのではないでしょうか。

境界線の話は、こちらを参考にしてください

※補足しておきます。
 ここで使っている、良い部分と悪い部分は、見る人からの良い悪いであって、
 人は良い悪いの二色に分けることはできない、というのが、今回お伝えしたいことです。

3.白黒二極化の価値観を改善する

私の場合、人の多面性を捉えられないのと同じように、
人間関係以外にも、白黒の二極化の価値観を置くことがありました。

自分の行動に「どうせやるなら、そうでなくては意味がない」という言葉で、
完璧にやるか、やらないかの二択に縛りつけたりします。

他にも、白黒決着をつけない状態で物事を置いておけない。
グレーな曖昧な状態をOKとできない傾向にありましたね。

このような価値観では、物事を局所的にしか見られず、視野が狭くなります

これらのことは、失敗を怖れるなどの、他の要因も考えられますが、
人間関係を多面的に捉えられないことと、関係していると感じます。

白黒と二極化する傾向は、
自分自身を育て直していけば、改善させていくこともできます。

実際に私も、自分の偏った価値観に気づいてからは、
意識的に物事を捉えるようになって、極端な偏りが減っていきました。

改善していくには、こんなことを意識して、過ごしてみてください。

人や物事には、多面性があり、見る人見る方向によって、見え方は違うと考える。
 ⇒ 今、自分から見えるものが、すべてでない。時間の経過で変わることもある。

正しいか間違いかに拘って、決めつけで見ていないか考える。
 ⇒ 正しさを求める必要がない場合が、多分にあることに気づく。

100%できなくても、できる分だけでも、やってみると考える。
 ⇒ 100%に意味をつけているのは自分ではありませんか?

・その場で結論を出さなくても、保留して熟考する選択もあると考える。
 ⇒ そもそも結論を出す必要のないこともあります。

このように、曖昧な中間ゾーンの存在を意識していくといいと思います。

そして意識できた上で、
たくさんある選択肢の中から、自分で選択していけばいいのです。

物事を局所的にしか見られない狭い視野を広げていく。
視野が広がれば、選択肢がたくさんあることが見えてくる。

それは、自分の自由度が増えていくことに繋がります。
意識して、自分の偏った見方を外していきましょう。

関連した記事も参考にしてください。
歪んだ価値観
境界線が引けない

それでは、ここまでです。

ありがとうございました(^^)/