《心の回復過程の経験談Vol.4》「どうせ」と葛藤しながら命懸けの二択をしていた話

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生きづらさの原因を探り、自分らしさを取り戻すお手伝いをしています。

ここ最近、コロナの急速な感染拡大、
人気俳優さんがお亡くなりになった件と、自分の中にすっきりしない感じを持っています。

自分では解決できない悲痛な出来事を、遠くから見ているしかないのは、
何とも胸が詰まる思いです。

現代を生きる中で、不安要素はたくさんあります。
不安から目をそらそうとすると、不安は大きくなって追いかけてきます。

不安なときは、何が不安なのか?と自分で自分の現状を理解すること。
そのうえで、自分がどうなっていきたいか、それには何がネックになるのか、どう対処していくか。

心も現状も一つずつクリアにしながら進んでいくことを大切にしていきたいです。

さて今日は、心の回復過程の経験談の第4弾!!

「どうせ」と葛藤しながら命懸けの二択をしていた話」です。

以前からの自分の中で葛藤が多かったのですが、最近にやっと紐解けたことがあります。
その内容について、まとめてみたいと思います。

1.「どうせ」の言葉を使ってしていたこと

「どうせ」って言葉ですが、私は今まで、かなり多く使ってきたなと思います。

「どうせ」だけを切り取ると、
「どうせできないから」などの諦めの言葉を思う浮かべる人もいるかもしれません。

私が使ってきた「どうせ」は、少しニュアンスが違います。

「どうせ、やるなら」 → しっかりやろう
「どうせ、あとで要るなら」 → 今まとめてやっておこう
「どうせ、必要ないなら」 → 無駄なのでやめよう

の様に、今やろうとしていることに、何らかのジャッジをするために使っていたと感じます。

もっと具体例にすると

・物事に取り組むときに、下調べを入念にして、最善な策を選ぼうとする。
 ⇒ どうせやるなら、最善を

・仕事など他人と重複作業にならないように、事前意識合わせをしっかりする。
 ⇒ どうせやるなら、無駄がないように

・目的や期限が曖昧な作業は、はっきりするまで後回しにする。
 ⇒ どうせ要らなくなるのなら、やるのは無駄

などの具体的な行動に現れていました。

自分で振り返って感じるのは、無駄なく効率的にということへのこだわりです。
そして内容も最善をと、つまり、物事への取り組みはベストのものを選びたいということです。

それ自体は悪いことでないんですよ。
実際に仕事で結果を出すことにも役立ってきました。

しかし困ったことに、「どうせ」の選択をするために、
私は常に自分の中で葛藤を繰り返していました

仕事など客観性が必要なことならともかく、
日常でトマトとオクラをどっちを食べようか?など、
本当にどっちでもいいようなことで、時間をかけて悩むこともたくさんありました。

大きなことになれば尚更、今やるか?あきらめるか?といつも疲弊していたのです。

2.葛藤だらけの日常で本当に葛藤していたことは?

「物事への取り組みはベストのものを選びたい」
と本人は無自覚のまま葛藤をしていたのですが、
ではこの『ベスト』とは、私にとって何だったのでしょうか?

前項でも出てきたように、無駄を省く、効率的に、内容が充分にある
ミックスさせてベストを選んでいたような気がします。

ものごとを判断していた要素は、この3つと言い換えられます。

・無駄がない
・効率的である
・機能的である

これ?!!

選択肢からどれかを選ぶ場合、この3つの条件が揃っているものがあれば、
きっと迷わないでしょう。

しかし選択肢それぞれに特徴が散りばめられて、判断し難い場合、凄く迷いませんか?

例えば、こんな迷い方をしていました。

冷蔵庫に眠らせていたトマトとオクラどっちを食べる?

判断項目

・調理が簡単なのはどっち?
・他の食べ物と合うのはどっち?
・賞味期限を考えると、どっちを先に食べておくべき?
・捨てることになっても後悔が残らないのはどっち?
・体の感覚はどっちを食べたがっている?

お気づきの人もいるかと思いますが、
トマトとオクラに、なぜどちらかを選ばなくてはいけないのか?

両方食べればいいじゃん!!

本当にそうなんですよね。
ですが、このときのことを思い出すと、実は、どっちも食べたくなかったんですよ。

それなのに食べようと思ったのは
「今のうちに食べないと食材が無駄になってしまう」
「お腹は欲しがっていないけど、夕飯どきだから何か食べないといけない」
との考えだけ。

本当の気持ちは食べたくない。

じゃあ、食べなくていいじゃん!!なんですが。

だから、このときに本当に迷っていたのは、実は

トマトまたはオクラを無駄にしないベストの選択 VS 食べたくない本音

の葛藤であって、

トマトとオクラで迷わせることで、
自分の本音をわからないようにしていたように思います。

3.ベストと本音の命懸けの二択

この「ベストの選択」と「自分の本音」の葛藤ですが、ここには深い意味がありました。

これは何年もの長い時間をかけて、最近になって、ようやく理解できた気づきです。

起因は幼少期にあります。

私にとってベストの選択とは「家族のバランスを維持するためのもの」でした。

(トマトとオクラが?と思うかもしれませんが、
 幼少期の感覚が、何か物事を選ぶときに発動するのです)

この家族のバランス維持 = 自分の生きる場所なんですよね。

壊れそうな脆い家族を保つために、自分で何ができるかずっと考えて、
頭フル回転で、どうしたらいいか常にベストを探す癖がついていました。

私は自分が生きるために、
無駄なく、効率的で、内容も充分なベスト(最善)の選択で、頭を悩ませてきたのです。

そして「自分の本音」=「自分の好きなこと」を選ぶとすると
家族を維持するためのベストの選択ができなくなります。

心の中に子供の頃に植えつけた癖を抱えたまま大人になり
どちらでもいいような小さなことにも、よく葛藤していました。

自分の本音を殺して、ベストな選択を探す生き方をしてきたんですね。

(実際には迷って迷って最終的にエイヤーで決めたりと、結果としては必ずしもベストを選べていたわけではないんですけどね)

だから、自分がやりたいと思って始めたことも、癖で「どうせやるなら」が付いて回ります。

その結果、いつの間にかベストの選択に迫られて、
自分のやりたい本音はどこかへ隠れてしまいます。

やりたいことをしていたはずなのに、いつも「やらねば」に変わってしまう

同じパターンを繰り返してきたのは、このような原理だったと気づいたのです。

4.どう解決していくのか

自分の原理がわかったところでの解決策としては、

ベストの選択をしないと家族が壊れる、自分の生きる場所がなくなる
との頭の中の信じ込みを手放すことです。

自分の本音である好きなことを選ぶことは、
家族を壊すことでも、自分が生きる場所がなくなることでもない
と、書き換えるのです。

(これはリトリーブサイコセラピーのセッションで扱ってもらいました)

自分に起こっていた一連のことが理解できたうえで、
自分はどうありたいかを考えてみました。

実はこれまで、自分の好きなことを選ぶことは、生活の安定を失うこととの感覚がありました。
反対に生活の安定を選ぶなら、好きなことは諦めないといけない。

だから、好きなことと、生活の安定のどっちを選ぶのか?
と、自分で命懸けの二択ともいえる選択を、無意識に迫っていました

本来は、自分が生活するための必要なことを選ぶこと、自分が好きなことを選ぶこと、
の両方を同時に叶えてもいいんですよね。

自分が必要と思う日常生活を確保する。その上で

自分がやりたいと思うことを、
できる範囲でしたり、できるためにどうしたらいいか?を考えていく、
と極当たり前のことをしてよかったのです。

読んでいる方の中には、私と似たような感覚を持っている方もいるかと思います。

好きなことを極めたいなどの野望は別として、
好きなことを選んでも、安定を手放す必要はありません。
命懸けの選択は要りませんから。

同時に叶えられるポイントを、自分で探っていけばいいのです。

穏やかに楽しく生きていくことを、
自分にとっての幸せにしていきたいと、改めて思いました。

自分にとっての幸せが何か、考えてみてくださいね。

今日はここまでです。

自分のために、自分のペースで頑張っていきましょう(^^)/