変わりたいのに変われない?~心の回復を止める人から与えられたい心理

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生きづらさの原因を探り、自分らしさを取り戻すお手伝いをしています。

今年も早いもので半年が経過しました。

このブログを始めたのが新年早々で、
コロナ禍で、落ち着かないまま、あっと言う間の半年間でした。

先日、自身の誕生日を迎えたのですが、自分の年齢が、驚くほどに加速して進んでいきます。

ただここ何年かは、自分の心の回復と、やりたいことへの挑戦と、
若い頃にはなかった濃い時間を過ごせていると実感しています。

もっともっと自分に素直に、自分の感覚を大事にして、これからも進んでいきたいです。

さて今日の話題ですが、人から与えられたい心理としました。

心の問題を自覚して回復を目指している人は、
自分の人生を歩みたい、自分を取り戻したいとの希望があると思います。

心の回復は、自分自身が決意して進もうとすることで、その成果が得られるようになっていきます。

しかし、その希望と決意の必要なセットが、希望だけで決意がついて来ない人がいます。

人は理想だけでは変われません。
いやいや決意があっても、心の問題を解決していくのは簡単ではないです。

この変わりたいと言いながらも決意できていない人とは、
どんな人なのか、その人の中で何が起こっているのか、考えて行きたいと思います。

1.変わりたいのに変わらない人

心の問題は、日頃の小さなストレスから、病名を診断されるほどのものまで幅広くありますが、
私がここで言う心の回復とは
本人が心の問題を自覚して、解決して行こうという人を対象に考えています。

冒頭でお話したとおりに、回復の先には、
自分の人生を歩みたい、もっと幸せを感じて生きたい
などの希望が、少なからずあると思います。

日常的なことで言えば、人と会話を楽しめるようになりたいなど、
いずれも今の自分の状態が、自分の望む状態でないことが前提になっていると思います。

人が心の回復を目指そうとするとき

・望む状態でない自分を自覚する
・なりたい(抜け出たい)先のイメージがある

この条件が合わさって、変わろうと行動を起こすと思います。

変わりたい人の中には、藁にもすがる思いで、心理の門を叩く人もいます。

その歩みの中で、自分で、どうしたらいいかを考えて
プロに頼ったり、仲間と出会ったり、周りの人の協力を得たりと、
様々な力を借りながら、自分で道を切り開いて進んでいきます

しかし、なぜだか、自分の問題と向き合いながらも、
いつまでも同じ問題を持ち続けている人がいます。
問題の根っこと向き合わないと、進んでも戻る場合もありますが、その状態とも違います。

嫌だ嫌だと言いながら、今の状態を維持している
ように見えます。

私が学んでいるリトリーブサイコセラピーでは、
人は問題を持っている状態にメリットがあると考えます。
問題を手放すリスクよりも、持っている方がいいから(マシだから)と無意識に選んでいるのです。

そして、この変わらない人の傾向として、以下のような特徴が思い当たります。

・人の意見に左右される、従順である(考えない)

・自分はできない人間だと思い込み、自分で認めている(劣等感)

・罪悪感が強く、すぐに「ごめんなさい」と言う立場を取る(悪いのは自分)

・他人の言動を自分の言動の起因にする(考えない→何かあれば責任転嫁)

辛い経験にスポットを当て続け、どうするかに発展させない(被害者であり続ける)

これらの特徴をまとめると、変わりたいと言いながらも、
人よりも下の位置に入り、自分を前へと導かない主体性のない傾向と言い換えられます。

しかしこれら特徴を持っていたとしても、
負けん気が強い一面を持っていたりと、逆方向へ働く力も強い人は、
もがきながらも抜け道を探していくように思います。

つまり、人の下の現在地に、自分では何もしなくて楽ちんという大きなメリットがあり、
そこにどっぷりハマれる人は、抜け難いことになります。

これでは、希望を抱いても、自分で道を切り開くことからは、かなり遠いことです。

自分では頑張れないけど、変わりたい。
誰か私を変えてくれたらいいのに。

との本音が眠っているのかもしれません。

2.変わりたくない人のメリット

人の下の位置に入り、自分を前へと導かないでいる人について、もう少し詳しく見ていきます。

楽ちんなこのポジションを維持するために、必要なことがあります。

それは、自分より上に人を置くことです。

・人の意見に左右される、従順である
 →従う意見を言う人が必要

・自分はできない人間だと思い込み、自分で認めている
 →できない自分を引き立たせる出来る人が必要

・罪悪感が強く、すぐに「ごめんなさい」と言う立場を取る
 →怒らせる相手が必要

・他人の言動を自分の言動の起因にする(考えない→何かあれば責任転嫁)
 →責任を持ってもらう人が必要(「あなたが言ったから私はこうした」の相手)

・辛い経験にスポットを当て続け、どうするかに発展させない(被害者であり続ける)
 →辛い思いをさせた人が必要、自分よりも辛くない人が必要

そして、この状況を実現するためには、意識的、無意識的に関わらず、
自分を人の下に置くための、ふるまいが必要になります。

自覚なく、

・自分の意見を持たない
・できない、わからないと言う
・相手が苛立つ態度を取る
・誰かの意思にそった発言・行動をする(自分からは本音を出さない)

心の回復を積極的に目指さない

といったことを続けているのです。

これらを見ると気づくのは、
下の立場を取りながらも、実に都合よく思いどおりにしているということです。

本当は、人の意見に左右される気弱な人でもなければ、できない人でもないのかもしれません。
自分の意思も考えも腹の中に隠して、
思いどおりに事を運べる賢さを持っている人も、いるかもしれませんね。

3.変わりたくないもう一つの理由

では、楽ちんポジンションだけが理由なら、心の問題には繋がらないのではないか?
との疑問になります。

楽ちんなのに、心の問題があるとして悩むのは、
本人にとっては、楽をしている自覚がないからです。

自分はできない人間、人に嫌われる存在など、
自分を下げた存在にして、人との関わり方に悩みを抱えます

・自分に自身がない
・強い人に従ってしまう
・人の足手まといになる

と言いながら、人との関わりを求めていたりします。

そして人との関わりの悩みには、
愛着(人と人との絆を結ぶ能力で、人が安心安全に生きるための土台)
の問題が潜んでいます。

人の下にいることは、人から与えられる立場になり、
自分で考え導く責任から逃れられ、同時に人と繋がる安心感を得られます

これがタイトルにもある「人から与えられたい心理」です。

愛着問題の多くは、幼少期時代に、愛着を安定させることができなかったことが起因です。
人との関わりの中で、いつも不安が横たわっています。

その不安が、自分を人よりも下げることで、一時的にでも人から安心感を得られるなら、

楽ちんかつ、欲しいものが得られる立場というのは、
大きな大きなメリットとになり、手放すのが容易でないことに頷けます。

もし自分で考え、行動できるようになってしまったら、人から与えてもらうことはできません。
欲しいものは、自分で獲得しないといけない。

それは心の回復に必要な
「自分の希望は、自分で決意して、自分で叶えていく」といったことなのですが、
大きなメリットを前にしたら、霞んでしまうのかもしれませんね。

4.自分を変えるのは自分

人から与えられる立場をこのまま続けたら?

心の回復は、自分で安心感を育てることが必要です。

人に与えてもらう安心感は一時的なものです。
自分で進むことを止めていれば、自分の中の安心感は育っていきません。

現状が楽ということは、心の回復の障害になります

もしそのままで、ずっと人の下の立場で与えられることを選ぶなら、
それは同時に、常に上に置く人を見つけて、その人の人生も巻き込んでいきます。

自分は楽をして、人から与えられた安心感で、愛着の欠乏を埋め続ける未来も想像できます。
それが本当の望みならいいのですが…。

人から与えられる立場から抜け出すということ

自分で考え導くといった自分の責任は自分で背負う安心感は自分で満たしていくということです。

根底に幼少期に根づいた恐怖などの問題がある場合は、
一人では怖くて足を止めてしまいそうなこともあります。

しかしそれでも、
人の力を借りながらも、自分が主体で解決するとの決意が必要なんだと思います。

そしてどんなに人を頼っても

自分を変えるは自分で変わるとの気持ち

自分の本当の幸せを、自分の手で、取り戻していきましょう。

今日は、ここまでです。

ありがとうございました(^^)/

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