《心の回復過程の経験談Vol.6》機能不全家族育ちが親を亡くすということ~後からの気づき

こんにちは。水野まこ、と申します。
名古屋から心理についての情報を発信しています。

リトリーブサイコセラピーという心理療法の考えを用いて
生きづらさの原因を探り、自分らしさを取り戻すお手伝いをしています。

前回の記事で、今年(2021年)、父を亡くした際に、
親の余命宣告と、今はまだ生きている父という現実と、どう向き合ったのかの経験談を話しました。

《心の回復過程の経験談Vol.5》(元)アダルトチルドレン・機能不全家族育ちが親を亡くすということ

今回は、その続きで、父が亡くなったあとの、私自身の心の変化についての話になります。

ここ半年間ほどの話になりますが、自分でも驚くほど、自身の心の問題解決に大きな展開がありました。

人が心に受け続けた傷による心(脳)の縛りは本当に強固なもので、
ずっと反り合って関係性が薄いと思ってきた父から、多大な影響を受けていました。

私自身まだ、父との繋がりで解決できていない感情もありますが、自分の気持ちを癒す意図も込めて、前回と今回の記事を書いております。

私事の話ばかりになってしまうかもしれませんが、なるべく心理的な考え方も示したいと思います。

今までの記事でも触れてきましたが、私の育った環境は機能不全家族です。
私自身が40歳を超えてアダルトチルドレンと自覚するまでは、「生きたくない、早く死にたい」と思うような心の問題を抱えていました。
それから7年近く、自分の中の色々な問題が紐解けて、随分と楽に生きられるようになっています。
今回の内容は、その前提があっての話になります。

1.父の言葉の理由

父が亡くなる前に私に言った言葉(前回の記事より)

「俺は、オマエを疎外してきた。孫(同居する姉の娘)ばかりを可愛がった」

言われたその場では「やっぱりね」の思いで受け止めたこの言葉が、父の死後、日の経過と共に、私の中での思いが変わっていきました。

葬儀が終わり直ぐの頃、私は母と話し、母が知っている「父の育った家族関係」について、改めて教えてもらいました。

六人兄弟姉妹の三番目、男児三人の真ん中。兄と弟は脚が悪く、父だけが不自由のない身体を持っていました。
時代は昭和の初期の男が家の柱となる時代。
以前、父から、戦時の疎開した話も聞いたことがあります。

若い頃からの父が実際に母に話していた言葉も聞きながら、父の状況を想像していました。

・兄弟の中で自分は恵まれている(障害のない男児)からと、親に甘えず、自分で頑張ってきたであろうこと(親の方も父に手が回らなかっただろうこと)

・愛情に飢えて、妻に母親を投影し、愛情を求め続けていたこと

・一生をずっと孤独だと思い続けていたこと

父が抱えてきた気持ちを想像して、母も「そうかもね」と二人で納得し、私の中に腑に落ちた感覚がありました。

このときの話で、父が私に言ってきた言葉の意味が一つ紐解けたんですね。

父が私に厳しく当たることは、以前から私にも自覚がありました。

心理を勉強するまでは、「私が生意気だから、可愛げがないから」という自分責めの解釈をしていました。

それが心理のことを知り「私が父の劣等感(無価値観)を刺激するから」という考え方が解って、自分と父の問題を切り離せるようにはなっていました。

しかし母との話で、さらに見えてきたことは、

「父は私に、父自身が抑圧してきたもの(恵まれているから我慢しなくては)を投影していた。だから私に厳しかったのだ」と気づいたのです。

私は父から「オマエは恵まれている」と言われてきました。
私が大人になり、病気がちの父よりも稼ぎが上回るようになってからは特に、顕著に示されてきました。

その言葉は、父が(父が見て恵まれていないと思う)姉の方を傍に置いて過保護にする理由、として向けられることもありました。
ちなみに姉は学業の成績が悪い(親の言葉だと頭の悪い子)だけで、身体など他に問題はありません。

しかしそれは私自身の中にも
自分の力で何でも出来てしまう=恵まれている」という「罪悪感」として、子供の頃からずっとあったと思います。

これは、本来なら「恵まれている→自分の力でやる」も「罪悪感」も父の持ち物です。

逆説的に考えれば、私は「「恵まれている」を実現するために、自分の力でやってきた」とも言えます。

父の感覚を私が取り入れてしまいながら、父の抑圧した自己否定(恵まれているから愛されない)の受け皿にもなっていたということです。
(これはがっつり人生脚本です。書きながら、さらに自己理解が深まった(-_-;))

なお母とは、ここまでの深い話ができるようになったのには、紆余曲折がありました。
父への理解が進み、このあと、さらに母との関係性も変わっていくことになりました。

2.あとから出てくる感情

父のことへの理解が進み、私が父にされてきたことの意味がわかって、

「あー、よかった」で話は終わりません!!

心の回復経験談としては、ここからが大事な話になります。

この夏、初盆法要が終わり、父の法要イベントが一段落ついてからの話です。

仕事が忙しくてストレス過多でもあったのですが、気を抜くと、
父の「オマエを疎外してきた」の言葉と共に、フツフツと怒りの感覚が反芻するようになってきました。

「私、怒っているんだな」「そりゃ、そうだ。考えてみれば、疎外するって、酷い言葉だよな」
そんな風に受け止めて、自身を探っていくと、
「父に受け入れてもらいたかった」という悲しい気持ちもありました。

このときは、このときの状態に納得して、怒りも悲しみも感じるままに、少しずつ癒していこうと思いました。

あとからの推測ですが、父の法要イベントが一段落つくまでは、優等生の娘というポジションの自分を守っていたと思います。
父が望むだろう振る舞いをするために、怒りの感情に蓋をしていた状態だったと思います。

この次に感じるようになったことは、「一人で生きるのが寂しい」でした。

実は「寂しい」は、私にとっては珍しい感情です。
長く一人暮らしをしているのですが、今までほとんど感じてこなかったように思います。

このようにして、
心の問題は、一つの感情を受け入れると、次の感覚が浮き上がってきます。

この「寂しい」が浮かんできた時期は、忙しかった仕事が一段落ついて、自分のことに向き合える時間に余裕が出てきた頃です。
しかし「寂しい」の感覚を探ろうと思っても、無気力や別のことに逃げがちで、自分の感情に触れることが難しくなってもいました。

自分で自分の感覚が探れなくなったこのタイミングで、リトリーブサイコセラピーのセッションを受けました。
すると、セラピストの前で、父に「疎外してきた」と言われたの言葉と共に、恐怖が一気に溢れ出しました。

私にとって、父に疎外されてきたことは、受け入れたくない事実だったのだと思います。

このあと、セッションで明確になってきた感情などをヒントに、自己分析が進みました。
そして一つの大きな結論に辿り着いたのです。

3.家族と生きるために、一人で生きてきたということ

紐解けてみて分かるのは、
一人で生きるのが寂しい」の正体が、自分が長く抱えてきた問題の核となる感情でした。

心の回復を始めてから7年近く。自身での勉強から始まり、
自助グループやカウンセリングを受けたり、セミナーやワークショップに参加したり、
リトリーブサイコセラピーの講座でも知識と技術も学び、自身のセッションも何度も受けて、
それでも紐解けなかったことです。

それが、父と、父の死という現実と向き合い、知識と技術と、自身の心の感覚の積み上げがあって、ようやくわかりました。

私は父に家族として受け入れてもらいたかった。
オマエは一人で生きられる。という父のメッセージに従い、一人で生きることで、家族として受け入れてもらおうとしてきた。
だから、大人になり一人で生活しながらも、家族から完全に離れることもできなかった。
家族に近づくときは、一人で生きられるという偽りの自分でしかいられなかった。
家族と一線を引くことで、家族に近づかないようにして、父の言葉を守って生きてきた。

本当は、家族の中に入りたい。家族と一緒に生きたい。

そんな自分に気づけました。

これが癒し切れていなかった私の心底の本音なんだと思います。

当然に父に愛されたかったというのもあります。けれどその前に、家族に入りたい。
なぜなら、居場所は人の生存という根源に繋がる感覚だからだと思います。

過去に受けたリトリーブサイコセラピーのセッションでも「一人で生きなくちゃ」という感覚がよく出てきていたんですね。
〇〇したいでなく、〇〇しなくては、というのは、自分の本意でないということです。

その「一人で生きなくては」が何かの原因と繋がっているのは分かっていましたが、ずっと保留にしてきて、
それらポツポツ表れていたヒントが全部、一本串で通ったという感覚です。

それもこれも、

父の「オマエを疎外してきた」の言葉がきっかけであり
その言葉を引き出したのは、父の死を前にして現実と向き合ったからであり
現実と向き合えたのは、7年近く頑張って自分の回復を続けた成果であり
それには協力してもらった心理のプロや仲間や、話を聞いてくれる友人がいてであり
その前に、7年前まで苦しくとも諦めずに生きてきて、アダルトチルドレンを自覚できたことであって

自分の人生の経験の積み重ねが、すべて今になっています。

本当に、自分の人生をどう生きていくかは、与えられ持っている条件でなく、掴み取っていくもので変わっていく。

見えない父に縛られることは、もうやめる。
それを決めるのは自分です。

4.現在の話と振り返り

現在、家族との、母との時間を取り戻している最中です。
今の母は、自分が父の前では私を遠ざけていたことを、濁しながらだけど認めて、自分たちの黒い部分も共有できるようになってきています。

父が生きている内は、父自身の問題と、家族への父の影響と、私自身の父の縛りと、
問題が3重になっていたので、到底、私が家族に近づくことはできなかったと納得しています。

父がいなくなり、私自身が父の縛りの問題を解決しつつあり、私から家族へ近づいていくことで、家族との関係が変わってきています。

今も家族それぞれに問題はあるけれど、私自身が家族を許容できるようになってきています。
今は「一人で生きなくてもいいんだ」という安心感が出来始めているんですね。

あともう一つ、父の縛りを自分に課してきたことを、分かれば単純な答えだったのに、気づかなかったのは何故なのか?

それは私自身が「父に疎外されてきた」という事実から逃げてきたのだと思います。
その事実を受け入れることが何よりも怖いことだった。

先ほども書きましたが、居場所は人の生存という根源に関わる感覚だからです。

居場所がない感覚の人にとって、居場所を得るためなら、人は孤独さえも選びます
孤独にならないための孤独という矛盾を起こします。(回避性傾向の人にあるのでは)

きっと父本人の現実の言葉を聞かされることがなかったら、私はまだ
「自分が親に疎外されてきた」という現実から逃避して、偽りの一人で生きようとしていたと思います。
それを考えると、とても恐ろしく、今の結果になって本当に良かった。

アダルトチルドレンが脳に記憶したメッセージは、ここまで強固なのかと、私自身が身をもって感じたことでした。

自分の人生は、自分の足で進んで、自分の力で掴み取っていってほしい。
(人の力を借りながらでいいんです)

自分の人生を生きたいと頑張っている人を、心から応援しています。