《心の回復過程の経験談Vol.7》アダルトチルドレンが親との関係を取り戻すということ

こんにちは、
名古屋から心理についての情報を発信しています。

半年ほど前に投稿した《心の回復過程の経験談Vol.5、Vol.6》でアダルトチルドレンが親を亡くすということの経験を書きました。
今回は、その後の自分の心の変化、今時点で見えてきたことについて、書きたいと思います。

Vol.5、Vol.6はこちらから↓
《心の回復過程の経験談Vol.5》(元)アダルトチルドレン・機能不全家族育ちが親を亡くすということ

一年前に父が亡くなった直後と比べると、
当時想像できなかったくらいに、現在は心穏やかな日を送っています。

変わったことを挙げてみると

・家族の関わりを取り戻したことで、一人で生きなくていいとの安心感ができた。
・家族に対して、自分が無理することなく、言いたいことを言えるようになった。
・家族だけでなく、他人に対しても、嫌な気持ちを抱くことが少なくなった。
・自分の身体と不調と心の反応に気づきやすくなり、労わろうという気持ちを優先的に持てるようになった。

自分でも何事だ!?と思うくらい、人の言動に対するネガティブな反応が減ってきているのですが、
その反面、本当に困ることは躊躇なく拒否しています。

それに対して「そこまで避けなくても」と自分で思うときもあり、反省しながら何が起こったのか自分の気づきに繋がっていきます。

こうした繰り返しが、ますます自分を穏やかにして行ってくれている気がします。

今回、ブログを書こうと思ったのは、この穏やかな状態がどのようなことなのか?についてです。

良くなったことばかり書くと、「いいなあ」と羨ましくなるような思いが湧く人もいるかもしれません。

うん。羨ましいと思う。
以前の私自身の状態で想像すれば、その気持ちは充分にわかります。

ですけどね、当時の私が想像した幸せの状態とは、ちょっと違うんです。

1.アダルトチルドレンが欲しい家族との繋がり

つい先日の母の日ですが、7、8年ぶりに母へ贈りものをしたんですね。
この7、8年という年月は、私がアダルトチルドレンを自覚してから、母を嫌悪して母との関係を避けてきた年月です。

この間には、初めて母へ反抗して、母に拒絶されて、一年以上、口を利かないような時間もありました。

父が亡くなったことで、再び話す機会が持てたのはあるのですが、
自分の心の問題の解決が、母との距離を縮められる結果に繋がりました

今年の母の日は、以前のように、母に喜んでもらうための贈り物は選びませんでした。
私が贈りたいと思ったものが現れたので、贈ろうという気持ちになったのです。

贈り物が何かと言えば、私が大好きなモンチッチのぬいぐるみの母の日用ギフトです。

以前なら、もっと実用的な大人の贈り物しか考えたことがありませんでしたが、
私自身が「これあげたい!」との思いが湧いたのは初めてでした。

母が気に入らないようであれば、私がモンチッチを引き取ればいいからとの思いで渡しました。

すると意外にも、母はもの凄く嬉しそうにしていました。

母にも癒し切れていない子供の頃の未完了の思いがあるので、その子供心が疼いたようです。

「こんなに喜ぶなら、あげてよかったな」と親心みたいな穏やかな気持ちになりました。


それでですね、ここからが今回の本題の気づきに繋がります。

この件を別のSNSで投稿したところ、友人の一人から「やったね!」と言うコメントを貰ったんですね。

うん。何となく言いたいことは分からなくもない。
だけど、私の気持ちとはズレがある。

以前、まだ苦しさがあった頃の私自身の感覚から想像すると、
こんなイメージが「やったね!」に繋がるのではないでしょうか。

私が大好きなモンチッチ、お母さんは喜んでくれるだろうか。ドキドキ。
母⇒喜ぶ。
やった、お母さんが喜んでくれた。私の気持ちを受け入れてくれた
やったー!!

そうこれは、私自身が小さい頃からずっと求めていた幸せの状態です。

親に受け入れてもらう、大切に思ってもらう、愛してもらう。
それが何よりも欲しいものです。

アダルトチルドレンがこの気持ちを抱くのは、極々普通のことです。
アダルトチルドレンでなくても、人間なら、子として育つ中で当然のように抱く気持ちです。

ただこれが、叶わないから、
大人になっても諦められず、持ち続けるのがアダルトチルドレンです。

しかし現在の私が母との関係に思うことは、

 母が生きている間に、親子関係を取り戻すことができて本当によかった
 80歳超えている母の残りの人生が少しでも穏やかになってほしい。

との思いです。

「やったね!」のコメントから、今の私の心の状態が、以前とは違っていることを実感しました。

2.アダルトチルドレンの心の回復のゴールとは何か?

日々様々なことから学びがあるのですが、心理関連のブログから、私の今の心の状態を整理できるヒントを拾いました。

欲しかったものは二度と手に入らないと諦めることで、親を対等な一人の人間として見られるようになる

これもの凄く、現在の私の状態を語っています。

昨年父が亡くなってから、父への感情を癒す中で、
父とは望む親子関係を持つことができなかった。私の人生では、もう決して叶うことがない。
と受け入れる過程がありました。

その過程もあり、父の無言の命令で自分に縛っていた「家族への接近禁止令」を解くことに繋がり、
そこから母に近づけるようになって、母に本音で話せるようになりました。

(詳しくは「《心の回復過程の経験談Vol.6》機能不全家族育ちが親を亡くすということ~後からの気づき」参照)

母は年齢もあり、私が話した大事な思いもすぐに忘れたりするのですが、
私自身は「それは仕方がないこと」と受け入れています。それよりも、

私が自分の気持ちに正直に母に接しられることが、今の私にとっては重要です。

話したいことを話し、聞きたくないことは聞きたくないと伝え、それでも聞いてあげたい母の話はとことん聞いて。
そうして時間を重ねる度に、私も、私から見る母も、穏やかになってきました。

今の私は、親に受け入れてもらうことに執着していないんですよね。

これはきっと、私自身が子供の感覚の立場を卒業して、大人の感覚に成長してきたことなんだと思います。

母は昔から自分勝手にバカ正直で「子供に対して好きの気持ちがわからない」と今でも言います。
贈ったモンチッチを手に取りながら、私に対して「小さい頃は、かわいかった」とも言います。
現在の私は「それモンチッチと同じ感覚だよ」という会話になります。

母の言葉に私自身、何とも感じないわけでもありません

やっぱり親から好きとは言ってもらえることは無いのだと傷つきますし
反面、私への愛情が0%でないことを理解もできます

母が子供に好きと言えないことに悪気はありません。母も親に愛された実感がないのです。
だから、「カワイイじゃダメなの?」と母は自分の心の中のことを正直に教えてくれる。

今の私は、母の状態が理解できてしまうから、母を責める気にもなりません。

これが良い悪いでもなく、現在の私と母との関係なのです。

自分自身が子供のように愛情を求め続ける母には、誰かに愛情を注ぐことは無理なことだと思います。
でも母が自分で産み、50年近く家族でいた自分の娘に「かわいい」という感情はある。

今の私から見れば、たとえ心が未熟な子供みたいな母であっても、ずっと求め続けてきた母です。

母が生きているうちは、関わって、少しでもお互いに穏やかな気持ちで一緒に過ごしたい。
父とは叶わなかったことだけど、自分の人生に、今いる家族と穏やかな幸せの記憶を残したい。

今はそう願う気持ちがあります。

これは、親に愛してほしいと求めていた頃の無理な望みとは違います。
現在の私が、今ある現実に折り合いをつけた、自分の行動で叶えられる可能性のある望みです。

ずっと変わらなかった人を変えるという無理な望みを諦めて、
現実を見て心の折り合いをつけて、新しい関係と希望を作っていく。

アダルトチルドレンにとって、回復のゴールとは、こういうことではないかと思うのです。


アダルトチルドレンの心の回復には段階があります。

今現在、苦しい環境にいる人は、まず安心できる環境を整えてください。
人の力を借りながらでも、自分の中にある、恐怖や悲しみと向き合って、傷を癒してください。

少し楽になったのにまだモヤモヤする人は、自分の現実と向き合い、
自分が何を避け、何を得ているから現状に留まるのか?
に気づいて、どうして行きたいのか葛藤してください。

最終的にどこまで行けるかは、本当に自分次第。

自分の人生を自分の手に掴んで、幸せに向かって生きてほしい。

自分の幸せな人生のために、頑張る人を応援しています。