私は間違っていない、あなたが悪い!~自分を正当化する人の心理

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生きづらさの原因を探り、自分らしさを取り戻すお手伝いをしています。

緊急事態宣言の延長が決まりGWも明けました。

私はテレビやネットニュースで情報を仕入れることが多いのですが、
地域やその人の立場により、コロナ感染拡大防止に取り組む姿勢に、すごく温度差を感じます。

私が居るのは特定警戒県である愛知・名古屋です。
近所で見かける光景は、公園など広い場所に、
お子さんたちがマスクなしに集まって遊んでいるような、案外と長閑な様子です。

ニュースで流れる事業主の方の困窮具合いや、
医療の現場の緊迫度とのギャップに違和感があります。でもそれ以上どうすることでも…。

新型コロナ感染者数も下がってきているようで、もうしばらくの辛抱かもしれません。
頑張りましょう。

ちなみにテレビやネットの情報は、発信する側が発信したいことを選んでいるので、
それが全てと思い込み、自身の不安になってしまう人は、無条件で取り入れることはお勧めできません。

さて今日は、「私は間違っていない」という心理についてです。

何かを考えるうえで、自分から見えている視野が狭いと、
自分の考えは間違っていないとの方向に走りがちです。

間違っていない!にこだわると、自分と違う意見を間違っているとし、
正義を振りかざした意見で対立することも出てきます。

これは、今のコロナ禍で、あちこちで見かけますよね。

周りの人は、ただ意見を持ち寄りたいだけなのに、
話し合いにもならない、なんてことが起こります。

自分は間違っていないと思う裏で何が起こっているのか

その心理について考えてみたいと思います。

1.あなたが悪いと言う人

「私は間違っていない!!」と思う人の心理についてですが、
まずこれに関連して、昔から、私の両親がよく口にしていた言葉があります。

「あなた(おまえ)が、悪い!!」

ここだけ聞くと、あなたの方が何か悪いことをしたようにも思えますが、
前後の話を取り入れると、このような例になります。

例1父のケース

外食先での父と私の会話。過去のある私の行動を父が非難する場面がありました。
そのあと、私は大人になってから初めて、父の前で泣く展開になりました。

きっかけの話を始めたのは父です。10年以上も昔の話を持ち出して、そのときに聞けなかった事情を聞き出そうとしました。

父の話ぶりには始めから、私の行動を非難している気持ちが表れていました。

私は「そうでない」と説明しながら、
(でもどうせわかってくれない)との思いが溢れて、泣いてしまいました。

泣く私に驚いた父は「事情を知らなかったから、悪かったな」と、すぐに謝ってきました。

が、そのすぐあとです。
「(10年前に)きちんと話さなかった、おまえが悪いんだからな」と、
釘を刺すように、悪いのは私だと押しつけてきたのです。

例2母のケース

母と姉のやり取りのこと。

姉が台所で手をすべらせて、姉自身が気に入っているカップを割ってしまいました。

そこにいた母は、まず「何やってるの!!」とカップを割ったことを非難します。

そしてそのあとあんたが、悪いんだからね!!」と、姉に悪いを押しつけました。

姉は「わかってるって!!」と、怒り返しながら、悪い自分を受け入れていました。

悪者のは本当に必要なの?

この2例の父と母は、二人とも同じことをしています。

そもそも、私が泣いたこと姉がカップを割ったことは、悪いことなのでしょうか?

起こったことを悪いことにして「悪い」のレッテルを貼ったのは、父と母です。

例えば、私が泣いたことは、どうせわかってもらえないとの思いの、泣く事情がありました。

これを悪いことと捉えず、例えば「どうして泣くのか?」にスポットをあてれば、
誰が悪いとの問題にはなりません。

カップを割ったこともそうです。
姉は自分で自分のカップを割っただけ。誰に対して悪いことをしたわけではありません。

例えば、割れて散ったカップに目を向ければ、「怪我していないか?」になり、
割ったカップ自体に目を向ければ「気に入っていたのに残念ね」との思いになるでしょう。

もし、起きたことを悪いこととして扱わず、違う視点で見れば、
誰が悪い?って話には、向かっていかないのです。

たまに見かけませんか?
子供を叱るときに「怒らせるあなたが悪いのよ!!」と言うお母さん。
きっとこれも、スポットをあてる場所が違えば、そのような言い方にはならないでしょう。

では、今回の話題である「私は間違っていない!!」の人ですが、
実はこれ、例に出した「あなたが悪い」と言う人たちの裏側にある心理なんです。

2.私は間違っていない(正しい)の心理

あなたが悪いと言う人の心の裏側では、
私は悪くない、私は間違っていない、と自分を正当化する心理が働いています。

では、悪くないと主張したいのは、どんなことなのか?

心のどこかでは、少なからずとも「自分に否がある」と感じています。
意識的、無意識的に関わらずです。

例えば、項番1のケースを考えます。

例1父のケース

父は、父の言葉で私が泣いたという事実に、否を感じていました。
実際に、この例では、「悪かった」と口に出して謝ってきています。

しかし父にとって自分の否を認めることは、
=自分自身を否定することにも繋がり、認めたくないことなのです。

だから自分の正しいを証明して、否定を覆す必要があります。

そこで登場するのが、作り出した悪者『父に事情を説明していなかった私です。

「悪いのは、おまえだ」と、私に押しつけることで、
自分の否を自分の中から排除しようとしているのです。

例2母のケース

これも同様です。

母はまず最初に「何やってるの!!」と姉の行為を咎めました。

カップを割ったのは不注意かもしれませんが、わざとではありません。
それを失敗と捉えて咎めることを、母自身が否と捉えているのです。

そして、その否を認めてしまうと『=自分自身を否定することに繋がります。
だから『失敗をした姉=悪者を作り出して、自分を正当化しようとしているのです。

先ほど触れた「怒らせるあなたが悪い!!」のお母さんにも、
同じようなことが起こっていると想像できますね。

まとめると

自分の中でOKを出せないこと(否と感じること)を、自分の中から排除しようとする 
⇒ 自分は正しい(間違っていない)

自分は正しいとの証明を強化するためにする
⇒ あなたが悪い

との心理が働いていると考えられます。


他人を悪者にしてまで、自分が正しいと駆り立てるものは何なのか?

無意識下に、自分の存在を脅かすような強い恐怖の感覚があると考えます。

自分は間違っていない、正しいと思い込むことで、
自分が消化できないことを受けつけないようにして、自分を保っています。

※自分が消化できないこととは、自分の否に繋がることや、
 人によっては自分で安全と確認できていないことすべて、の場合もあります。

もし自分で消化できないことを、取り入れてしまったら
保っていた自分が崩れてしまいます。すると隠していた恐怖に直面します。

だから必死で、自分の中でOKを出せないことを外側へ向かって吐き出すのです。

相手を悪者に仕立てるのも、相手の話の内容に目が向かないのも、
すべて自分を守るためなんですね。

このような感覚を持っているのは、幼少期の経験が大きく影響していると考えます。

・自分のいい部分だけを親に認められた
・失敗すると咎められた(罵倒されたなど)
・親の失敗を押しつけられた

など

親が示す『OK/NG』が、そのまま自分のOK部分と、それ以外となり、
正しい悪いの二分化がされていると考えられます。

その場合、正しい以外のことが、親に認めらなかったことであり、
自分の中に存在することを認めると、親に認めれない恐怖を再現する感覚になるのです。

3.正しい悪いの二択はいらない

自分を正当化する人の中で、自分を保つために、自分を正、相手を悪に分ける。
このようなことが起こっているとして

そもそも、正しい悪いを決める必要はあるのでしょうか?

これは責任を背負いたくなくて押しつけるのと似ています。

過去の記事「責任は誰のもの?~それよりも大事にしたいこと」を参考にしてください)

もし相手の話の中身にスポットをあてれば、悪い人が存在しなくても話は成り立ちます。
話の内容を深めることも、広げることもできます。

必要のない正しい悪い探しは、話の入り口で、相手の話を拒否しているのと同じです。

言い換えれば、自分が許容できること以外は取り入れたくないと、
自分の視野を自分で限定的に閉じた状態であります。

正しい悪いかの二択は、正しいかの勝ち負けの世界になり、
人との繋がりが、敵か味方になっていきます。

もし自分の正当性を主張したくなる傾向に思いあたったなら、その都度

正しいかどうか?は必要なことか?
自分は相手の話を聞けているのか?

と考えてみてください。

人との繋がりに、どっちが悪いの二択なんて、必要ありません。

相手の気持ちに耳を傾けることが、
人との繋がりを温かいものに、していくのではないでしょうか。

今日はここまでです。

ありがとうございました。(^^)/

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