境界線が引けない心理、無境界は支配・依存を生む

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生き辛さの原因を探り、自分を取り戻すお手伝いをしています。


心理的な境界線というものを意識したことがありますか。
そもそも境界線ってなんだろうと思うかもしれません。

人間関係には、 私と、私以外の人(自分と相手)がいます。
人はそれぞれに別の人間であるにも関わらず、似た考え方や感覚を共有する、
人の気持に共感するなど、自分と相手を同じように感じることがあります。

いい感覚での一体感なら問題ありません。

しかし、過剰にお世話を焼いたり、理不尽な要求を飲み込んだり、
双方で望むものが一致しない場合は、人間関係を乱す元となります。 

心の境界線は、人と人とを健全に繋ぐためには大事なもの

と思います。

今日は、この心理的な境界線について、
私たちに、どのように影響するのかを考えてみたいと思います。

1.境界線が引けない状態で起こること

心の境界線とは
自分と相手は別の人間であり、考え方・思考・価値観・気持ちなど、
人の内面において、同じでないということを認められる感覚だと考えています。
人を尊重できる感覚とも言えます。

心の境界線が引けていれば
 自分と相手の意見が食い違っても、個々の意見として認めて、
 話し合いながら妥協点を探すことができます。

心の境界線が引けていない
 自分の意見と違う相手の意見を認められず、自分の意見を押しつけて、
 相手の考え方を自分の考え方に変えようとすることがあります。
 また反対に、相手の意見を鵜呑みにするなど
 無条件に人の意見を取り入れることも考えられます。

本来、人の気持ちや思考、考え方は、その人のものであり、
何を持っていようと、他人が変えられるものではありません。

ですが、心の境界線が引けていない場合、自分と異なるものを認められず、
自分と他人を同一のものとして、一括りにして扱うのです。

心の境界線が引けてない状態であると、どのような行動をとるのか例をあげてみます。
(ここからは、心の境界線が引けていない状態に、無境界との言葉を用います)

 無境界の人が他人へ侵入するパターン  無境界の人が他人を取り込むパターン
他人の考え方、価値観、気持ちを否定する他人に否定されて、自分はダメだと否定する
自分の価値観や考えを他人に押しつける自分の考えを持たず、人の価値観や考えを自分のものとして扱う
人に対する不平不満、怒りを別の人に垂れ流す 自分以外への怒りの聞き役なだめ役になる
求められていないアドバイス、お世話をする不要な他人のアドバイス、お世話を断れない
自分の問題の責任を他人に押しつける 他人の問題を自分が解決しようとする
自分の気持ちを察しろと他人へ強制する相手の気持ちは察するものだと、わかった気になる

上記表のように

無境界とは、自分と他人の範囲が曖昧で、他人の範囲を自分のことのように扱う、
または、自分の範囲を他人に扱わせる状態だと言えます。

もし、人へ侵入する側と取り込む側で、お互いに需要と供給が一致すれば、
支配する側と支配される側で依存状態が成立する関係にあります。
心理的には共依存という関係性にあたり、これは健全な関係とは言えません。

2.無境界の心の中では何が起こっているのか

無境界の状態である人の心の中では、何が起こっているのでしょうか。
その人の性格であるような無境界の行動には、心理的な問題が関わっていると考えられます。

何が起こっているのか、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

他人へ侵入するパターンの例

私のことで例えるなら、以前の私はバリバリの仕事人間でした。
実際に、バリバリ(恥)という言葉を使って、
人に頑張って仕事をすることを強制していた時期があります。

例えばこんな感じです

会社組織の中で、10歳以上も離れた新入社員の女の子の世話役になったことがあります。
その彼女は、一昔二昔前に言われていた「ゆとり世代」に当たる子です。
本人も「自分はゆとり世代。だからのんびりしている」と、
マイペースであることを公言していました。

(当時)仕事バリバリ人間の私にとって、許しがたい考え方です。
日々の作業の中でも、注意を少しすると涙をこぼす。
そんな彼女に、嫌気がさしていました。

このままでは、この子は、一生を根性なしで生きていく。
それは、この子の為にならないのではないか。
そんな正義感に、嫌な気持ちを転嫁していました。

あるとき、彼女に対して、このような言い方で叱ったことがあるんですね。
「 バリバリ仕事ができるように、なりたいと思わないの!!」

彼女の返事はこうでした
「別にバリバリできるように、なりたいとは思いません」

私は自分の価値観を感情的な表現で、彼女に押しつけていました
無境界に、彼女に侵入しようとしていたと言えます。

でも彼女が、私の価値観の押しつけを拒否できる人だったから、
依存関係に発展することはなかったんですね。

しかし
私の中では、彼女と関わることを避けたいという気持ちが湧いていました。

彼女はただ、私の価値観の押しつけを受け取らなかっただけです。
では私の中で何が起こっていたのでしょう。

私の中では

自分の価値観=自分のすべて

との図式が無意識でありました。

だから、価値観を拒否されただけで、
自分自身を否定されているとの感覚に直結してしまったのです。
それで心の傷つきが起こり、彼女を避けたいと感じるようになったのです。

自分の中で、価値観の一部と、自分自身そのものが、
ごちゃ混ぜになっているような、無境界な状態

無境界にある人の中では、自分の中も、他人の世界も、全てが繋がっていて、
そこに境目があることにも気づいていません。

そして自分が傷つかないために
自分の価値観を人に認めてもらう無意識の行動が、人への侵入といった形になるのです。

自分でもわからずに、人の言葉に傷つき、人との関わりが怖くなっていく。
こうして人間関係の悩みに発展していきます。

3.無境界はどうして身についたのか

前項であげた私の例は、他人へ侵入するパターンですが、
実際に私は、他人を取り込むパターンも持っていました

例えば、
支配的な友人を前にすると、自分を否定されても、言い返せない。
支配的な相手には、自分が支配を受ける側に回る。

人との繋がりが常に上下の支配関係にあり、相手により位置を変えていました。

どうして、このような上下支配関係になる無境界のパターンが作られてきたのか、
幼少期からの家族関係が影響していると考えられます。

人と人との境界線を身につけることは、
人が育つ中で、私は私であるとの個の感覚を身につけていく
ことと同じだと考えます。

・親との心理的分離がうまくできない
・無境界な親の支配下に居続ける

などして、健全に境界線が築けなかった場合、個の感覚も薄くなります。

・人を取り込むパターンが、
 親の支配を受け入れて身につけてきたパターン


・人へ侵入するパターンが、
 親が自分にしてきたパターン見て、自分に取り入れたパターン

この組み合わせで、無境界が起こっていることが多いと思われます。

幼少期の経験が、健全な境界線を築けず、
望まずして無境界な状態を身につけてしまったのではないでしょうか。

4.心の境界線を作っていこう

自分の世界と他人の世界に境界がなく、区別がつかない状態でいると、
思い通りにならなくて傷つくことがたくさんあります。

自分だけでなく、他人の世界を何らかの形で乱し、
結果、人との関わりに問題が生じてくることも多いと思います。

それは自分にとって、幸せなこととは言えません。

もし自分で境界線が引けてないと感じ、改善していきたいと考えるなら
人とどのような繋がり方が、自分にも相手にも幸せなことなのか、考えてみてください。

・自分の価値観=自分のすべて 
 ⇒ 自分の価値観<自分のすべて(自分の価値観=自分の一部)

・自分の考え方=他人の考え方  ⇒ 自分の考え方≠他人の考え方

・自分という人間=他人という人間  ⇒ 自分という人間≠他人という人間

このように捉え方を変えていければ、一つの物事や他人に左右されることもなく
自由に動ける選択ができるように、なっていくのでないでしょうか。

少しずつ、進んでいきましょう。 

人は幸せに生きていいのです。
自分にとって幸せな選択をできるようになってください。

では、ここまで。

ありがとうございました(^^)/