私の全てを受け入れて!!一番大切にして!!~100%の愛を求める心理
こんにちは
名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。
リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生きづらさの原因を探り、自分らしさを取り戻すお手伝いをしています。
いよいよ県外への移動自粛が解除になりました。
この週末、一気に車も人も増えた気がします。
近所をあちこち出歩いたのですが、久しぶりに見た活気づいた光景は、懐かしく感じました。
その傍ら、大型スーパーの片隅で、大量の買い物カゴの消毒をする店員さんの姿がありました。
大変だなと思う一方で、これら今の世間の行動に、健気さを感じたんですね。
コロナ以前の過去が、ちょっと呑気だったなと感じてしまいます。
新しい生活様式に順応しつつも、慣れすぎないように、過ごしていきたいです。
さて今日は、
私を一番に考えてくれる人、すべてを受け入れてくれる人を求める心理です。
過去の私、特に若い頃が、この気持ちが強かった。
人に依存的になってしまうといった心の悩みを抱えている人の多くに、
この心理が、わかるのでは、ないでしょうか。
この人を強く求める心理の裏側で何が起こっているのか、考えていきたいと思います。
目次
1.100%の愛を求める人
今回題材にした
「私のすべてを受け入れてほしい」「一番大切な人になりたい」は、
私が若い頃に、強く感じたいたことです。
今考えると、このことについて、自分の中で矛盾した感覚を持っていたように感じます。
今日は、私自身の経験を題材に、進めていきます。
私の両親は、子供の頃の私から見て、
どう転んでも「愛し合っている」と言える仲では、ありませんでした。
詳しいことは省きますね(^^;
子供の頃の私は、自然と永遠の愛はないという意識を持っていました。
その意識をいつ頃まで持っていたかは覚えていませんが、
自分が恋愛をするようになるまでは、どこかにしっかりと存在していました。
子供ながらに、
男女なんて、たとえ愛し合っていても最初だけ、あとは腐れ縁みたいなもの
と、実に冷めた考えがあったことを覚えています。
しかしそんな私も、思春期になり、いざ自分が恋愛をするようになると、
別の意識がムクムクと顔を出すようになりました。
それが私のすべてを受け入れてほしい、一番大切な人になりたいという気持ちです。
永遠の愛はないと、冷めたことを思っていた少女が、
いざ自分の恋愛になると永遠の愛を求める
という矛盾した感覚が自分の中に存在していたのです。
しかしその矛盾を、自分では気づいていませんでした。
とにかく目の前の相手に、100%大切にされたいのです。
その要求が、いかに歪んでいたかは、今になってわかったことです。
・できるだけいつも一緒にいたい
・私が寂しく思わないようにしてほしい
・私が心配にならないようにしてほしい
・私の気持ちを察して、手を差し伸べくれるのが優しさでしょ
・私もあなたのことを一番に考える
と、まあ、一心同体で100%密着していたいと言い換えられるヘビーな要求です。
口に出さずとも、心の中では、このような思いで一杯でした。
実は、私が持っていたこの思いには、
自分と他人は別の存在といった自他の境界がありません。
相手のことはもちろん、自分のことも、それぞれ一人の人間として尊重できていません。
相手と癒着するような心の問題がありありと見えます。
そしてこの要求は、
相手が自他の境界線が引けている人であれば、困った要求だったと思います。
この要求を簡単に受け入れる人がいれば、それは相手にも心理的メリットがあり、
共依存関係になるということなんですよね(^^;
2.100%の愛を求める心理
当時の私が求めていた100%の愛とも言える感覚。その正体を、考えていきます。
次の2つのことが思い当たりますが、いずれにせよ、その起源は、幼少期にあります。
母親への愛情要求
一つ目として、満たされなかった母親からの愛情を求めていたと考えられます。
親の愛着(人と人を結ぶ絆の能力)が安定していない場合、
親は自分の不安を埋めるために、外へ愛情や安心感を求めるようになります。
そして身近にいる子供は、親の要求を埋めるのに都合のいい相手です。
子供は、親から十分な愛情や安心感を与えられないうえに、
親の愛着不安を埋める役割を強いられます。
そのような状況下では、子供の愛着はうまく育たずに、
親と同じように枯渇した状態で、愛情を外へ求めるようになっていきます。
私の場合も、愛着の不安定さが、人へ強く求める心理を引き起こしていたと考えています。
本当は母親に満たしてもらいたかった愛情や安心感を、外へ求め続けていたのでしょう。
丸ごと引き受けてくれるの幻想
もう一つ、考えられることとして、
自他の境界感覚が育っていないことによって起こる、
100%丸ごと引き受けてもらえるとの幻想を持っているということです。
乳幼児期の母子分離の過程で、子供は母親の反応に自分を映すことで、
良い反応も悪い反応も、同じ一人の中で起こっていると気づいていきます。
自他の境界は、
目の前の母親に対して、自分の欲求に応えてくれない悪い部分もある
と発見し、自分とは別の存在だとの認識を体得することで育っていきます。
母親の反応が少ない、反応が良い又は悪いに偏っているなどがあると、
分離がうまくできずに、母=私
の感覚が残り、自他境界が育っていないことが考えられます。
本来、人は、自分自身でしか引き受けられない感情や感覚がありますが、
それが自他の境界が引けていないと、
・どこまでが相手にも引き受けてもらえること
・どこからが自分にしか引き受けられないこと
といった境目がわからない状態にあります。
100%の愛を求める心理は
母親の良い反応の部分だけの、100%丸ごと引き受けてくれる感覚を、
自他境界がないままに親しい人に求めていると考えられます。
たとへ実在の母親が満たしてくれなくても、
どこかに自分の全てを丸ごと引き受けてくれる相手がいるんだ
との幻想が捨てきれないでいるのでしょう。
さらに、私の場合、母自身が自他の境界が育っていなかったため、
幼い頃から、母の様々な感情を丸ごと引き受ける相手としての役割を担ってきました。
それゆえに、自分のことも、
いつか誰かが丸ごと引き受けてくれると待ち望んでいたんですね。
3.自分で自分を育てよう
人と一心同体で癒着しようとする状態は、自分が個として自立していない状態です。
母子分離ができない赤ちゃんの状態で止まっているとも言えます。
自分を変えていこうと思ったのであれば、自分を一人の人間として育てて、
自分と他人の境界線が引けるようになっていきたいですね。
そのためには、次のようなことを意識してみてください。
・人と100%の一心同体を求めるということは、
子供の頃の未完了な感覚が残っていることだと気づく
・自分と相手の価値観、感覚、感情は、同じでないと理解し、自他の境界線を意識していく
・100%を受け入れなくても、人との繋がりは築けるのだと気づく
など、自分の価値観の歪みを見直していきましょう。
一番大事だと思うこと
そして、自分の中にある、
本当は親に愛されたかった、親を求めたかった
ということに気づき、認めることが大事です。
満たされなかった自分を満たしていくことで、100%の愛を求めるのは幻想であると
体感で認められるようになっていくことが、大切なんだと思います。
まとめ
・自分の中にある、満たされなかった思いを認める
・自分で癒し、自分で満たすことをしていく
・自分と相手は違う人間だということを
感覚的につかみ、自他の境界線が引けるようになっていく
意識して、自分で自分を育てていきましょう。
今日はここまでです。
ありがとうございました(^^)/
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