怒らないのは優しい人?~怒れない人・怒りを抑える人の心理

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生きづらさの原因を探り、自分らしさを取り戻すお手伝いをしています。

全国的に緊急事態宣言が解除になりました。名古屋の街にも人が戻ってきています。

久しぶりにショッピングセンターを回ったのですが、レジ袋有料化が進み、
商品を買っても袋に入れてもらえないのが標準になっていて、少し戸惑いました。

薬局ではマスクがワゴン売りしていたりと、世間の変化に驚きます。

地域によっては、すでに第2波の心配もありますが、
せめてもうしばらくの間、少し戻った日常が続いてほしいものです。

今回のコロナ禍で、改めて人の対応力は凄いと思いましたね。
次の流行に備えて、物も心も備えていきましょう。

さて今日は、怒りの抑圧についてです。

人の怒りは、自分に向けられるたら嫌ですよね。
怒りは、いい感情でないというのが世間の普通の感覚として広まっていると思います。

ただ怒りを悪者として禁じるまで行くと、それは怒りを抑圧することになります。

平和主義が過剰となって、
自分に向けられていない他人の怒りまでも抑えこもうと、躍起になる人もいます。

今日は、怒ってはいけないと怒りを抑圧する人にスポットをあてて、
その心の中で何が起こっているのかを考えてみたいと思います。

1.怒りを抑える人の怒りはどこへ?

怒りは、二次感情といって、
恐怖や悲しみといった本当の感情を隠すためのものと言われています。

怒りの感情は、世間には、いいものではないと広まっていることと思います。
怒りのイメージは爆発的なものがあるため、警戒する人がいるのもわかります。

しかし怒り自体は悪者ではありません。
人間が持つ喜怒哀楽の一つで、人は感情を感じるのが自然です。

自分や大切なものを傷つけられたりして、
正当な怒りを感じるのは、自分の身を守る大切なことです。

だから、自分の中で感じた怒りは、
誰を攻撃するでもなければ、しっかり感じてもいいはずです。
それなのに、怒りを感じることさえも禁止する人がいます。

たとえば

誰かが他の人への不満を一言口にしただけで、
「相手もそんなつもりじゃないから」と鎮めようとする人はいませんか?
私も以前はそうでした。

自分への不満でないのに、
言われた相手の気持ちを自分のことのように語り、
不満を口にした人が怒らないように仕向けて、抑え込もうとします。

でもこれは、自分がされた側になるとわかるのですが、
自分の怒りを封じ込められる感覚と、
怒る自分が悪いかもしれないと自分へのダメ出しが伴うこともあります。

実はこの、怒る自分が悪いかもしれないと思う人。
こういった人が、怒ってはいけないと自分の怒りを抑圧する傾向にあります。

怒り=人を攻撃する悪者

といった認知があります。

だから、私の場合ですが、
怒るには、怒るだけの正当な条件が必要だと、自分の中に擦り込みがありました。

一度二度なら冷静に(装って)伝える。
それでも変わらないなら、我慢ならないといった感じで小爆発するといった具合でした。
ことわざにある『堪忍袋の緒が切れる』が、この様子にぴったり当てはまる気がします。

しかし、怒りは自分の中に閉じ込めて我慢するから、爆発するんですね。

と言って、私がしていた小爆発では、
本当に怒りたいことを伝えられているかといえば違います。

怒ってはいけないとの認知が、世間的に正当な内容でしか表現できません。
世間を使って自分が怒っていることの言い訳をする状態になります。

それでは解決には、ならないですよね。

さらに、条件つきの怒りさえも持たない人もいます。とにかく怒りはNGの人です。

ではその人の中に怒りが無いのかといえば、そんなはずはありません。
体を震わせながら、顔では笑う人を見たことがあります。

この場合、抑え込んで堪えきれなくなった怒りは、

自分へ向かって自分を傷つけたり、
間接的な怒り(受動的攻撃)で他者へ向けたりと、

漏れ出してきます。

自分へ向かった場合

・自傷行為(リストカットなど)
・身体不調(頭痛、腹痛、蕁麻疹など)
・摂食障害(拒食、過食)
・うつ病

などがあります。

※受動的攻撃とは、何かを「しない・与えない・忘れる」などで、拒絶的な態度をとって、間接的に怒りや敵意を向ける攻撃です。

2.怒りを禁止して抑えこむ理由

怒りを外に向けて表現する人もいれば、一方で、怒り自体を禁じて抑圧する人がいます。

怒りを抑圧する人の中では、何が起こっているのでしょうか。

なぜ怒りを抑えるのか?
次のような傾向が考えられます。

・爆発し自分自身が制御不能になることを恐れ、回避する

・怒りで直接的に攻撃する罪悪感を回避する

怒りに破壊力を感じているからこそ、人を傷つけるのではないかと恐れています。
もし人を傷つけた場合に失うものがあることに対しても、恐れています。

恐怖も罪悪感も感じたくないリスクです。このリスクを避けるために、
怒りを自分の中に抑えつけ、1項で書いたような別の方法で怒りを放出します。

これらは、怒ること=悪いことの前提によって、発生する感情・感覚です。

そもそも、
『怒りは、人にとって大切なもので、適切に感じて表現するもの』
と信じられていたらどうでしょう。

自分の中の怒りを否定せずに、どのように表現するかを考えればいいのです。

それなのに、できないのは、なぜか?

『怒りを感じること、表現すること』を学んでこなかったからと考えます。

子供の頃のこんな経験が考えられます。

・親からの共感や関心がなかった(怒りを出さずいい子でいることが関わり)

・悪いことをしていないのに怒られたなど、
 親の怒りが理解できなかった(親の怒りへの否定)

・怒りを出すことを否定された(怒りは悪いこととの擦り込み)

子供の頃の経験が、怒りを否定する感覚に繋がっていると考えます。

しかし今、大人になってもその感覚を持ち続けているのなら、
手放して、別の感覚に書き換えていってもいいはず。

怒りを否定するあまり、怒る自分までも否定してしまうのは悲しいことです。

本当は、我慢してきたものが、たくさんあるはずです。

まずは、そんな自分に気づいてあげてください。

3.自分の感情を大切にしよう

怒りを否定していた頃の私は、
自分の感情をコントロールできるようになりたいと思っていました。

それは、恐れ、不安、悲しみ、怒りといった、
自分に不快を与える感情を感じないようになりたいということです。

しかし感情は自分の心を守るもの、抑圧するから膨らむのだと知って、
人間である限り感情を粗末にしてはいけないと思うようになりました。

・感情を無視する
・感情を過大過小評価する
・別の感情に押しつける

このようなことがなく、自分の感情をそのまま感じられるように、
意識して感じていきましょう。

怒りを抑えてしまう人は、次のようなことを、考えてみてください。

感情を感じること

人は感情の生き物です。日常の様々な出来事に感情は伴います。
そして感情はしっかりと感じきらないと、自分の中に抑圧して封じ込められます。

怒りを禁止するばかりに、自分の感情から目をそむけがちになりますが、
まずは、自分が怒っていることに気づくことが大切だと思います。
自分が怒りの感覚を持つことを肯定してあげてください。

そして、その怒りの根底には、悲しみや恐怖などの感じたくない感情があります。
なぜ怒っているのか、怒りの下で何を感じているのか、感じてみてください。

感情を表現すること

怒りは我慢せずに、適切に放出していくのが望ましいと思います。

このときに、怒り=爆発のイメージだと、怒りを表現することを封印してしまいます。

感情的なリアクションとしての表現でなく、
自分の気持ちを言葉で適切に表現できるようになりたいものです。

そのためにも、
自分が何を感じているのか、どうしたいのか、自分に目を向けるようにして、
自分に気づいてあげましょう。

怒りを毛嫌いせずに、喜怒哀楽すべてを大切に感じてくださいね。

今日は、ここまでです。

ありがとうございました(^^)/

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