《心の回復過程の経験談Vol.1》「自己否定は私のものじゃない」の気づき

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生きづらさの原因を探り、自分らしさを取り戻すお手伝いをしています。

今日は私の話から

私が自分の心の問題と向き合ってきた時間は、問題が家族に起因していると気づく前と後で、
意識が180度変わったと思うほど、向き合い方や人生の考え方までも大きく違います。

家族が起因と気づいたのは5年以上前です。
きっかけは、苦しさを我慢し続けて、心が限界を迎えたことでした。

それまでどんなに頑張っても、どうしようも出来なかった自分の生きづらさが、
育った家族環境から来ていたと知りました。

そのときに

自分の生きづらさに原因がある=自分で変えられること

と捉えて、たとえ10年かかってでもと、心の回復への取り組みを始めました。

きっかけについては、過去の記事「生き辛さは生まれ持った性格じゃない」でも、お伝えしたことがあります。

当初の私は無我夢中で、心理を勉強し、自分のことを探り、心の回復に努めてきました。
一年経った頃には、AC(アダルトチルドレン)や愛着障害の書籍を50冊ほど完読していたと記憶しています。
生きていくには自分の心を立て直すしかないと、必死でした。

それまで苦しさを我慢して生活していた私は、心療内科にも行ったことがなかったのですが、
自分をACと認めていいんだと言い聞かせて、民間の心理カウンセリングのお世話になりました。
AC自助グループにも参加し、心理セミナーやワークショップも活用しました。

※『AC(アダルトチルドレン)』は当事者の自覚の呼称とされているだけで、診断されるものではありません。

その過程で、大鶴和江先生を知り、
リトリーブサイコセラピーと出会い、受講生となって更なる回復を進めてきました。

正直に言って、心の回復の過程は、癒すばかりの優しいものではありません
私の場合は、そのほどんどが、自分の問題に向き合い、苦しい時間ばかりでした。

しかしその苦しさは、同じものが続くのではなく、
直面している問題を解決したことにより、次の苦しさが出てくるのです。

苦しい時間ばかりなのは、それだけ、人が幸せに生きるための心の成長を止めたまま、
自分のための人生をおざなりにして、生きてきたからです。

でも、振り返るといつも、以前の苦しみとは違うことに気づきます。

一つずつ不要なものを削ぎ落としながら、新しい感覚を育てていく。

5年以上経過した今は、当時の私が想像できなかったほど、
自分というものがしっかりと出来てきて、新しい自分の歩みも始まっています。

この心の成長とも言える回復過程の経験について、自分が思うままに記録を残してあります。

たまに読み返すと、最初の頃にあった、
今とは格段に違う、生きるか死ぬかほどの逼迫感を思い出します。

自分のために必死なることが、自分を作っていくのだと思います。

今回、私の回復過程の経験から
伝えたいことをピックアップして、記事にすることを始めてみます。
今後も、今までの心理の話と織り交ぜて、発信していきたいと考えています。

1.自己否定「私は迷惑な存在」にのたうち回る

《心の回復過程8ヶ月目の頃》

当時、自分の心の問題を話せるのは、
心理カウンセラーさんと、古くからの同僚(男性)だけでした。
一人暮らしだった私は、一緒に暮らす家族もいません。

それまでに、親しくしていた友人に打ち明けて、
「普段、仕事もして、普通に生活ができるのに思い込み過ぎだ」と
バッサリと切りつけられてしまう経験もしていました。

ましてや実家の家族は、私の心の問題を作った原因です。相談するどころではありません。
もし知られてしまったら、同じようにバッサリと切りつけられ、
最悪は心の問題に向き合うことを邪魔される、との恐怖がありました。

そんな中で、知人女性と食事をする機会ができます。
もし彼女にも切りつけられてしまうのなら、それまでのこと。
私を切りつけてくる人との縁は必要ない。
そんな前提を言い聞かせて、自分のことを打ち明けてみることにしました。

受け入れられない前提を作るのは、期待して受け入れられなかったときに傷ついてしまうことを、無意識に回避しています。

しかし意外にも、その彼女は、私の話を一つも否定することなく、受け止めてくれたのです。

今回、お話ししたいのは、そのあとのこと。

当日は、受け止めてもらった嬉しさと安心感から、穏やかに過ごせました。

しかし翌日になると、いろんな思いが駆け巡ります。
受け止めてくれたことに、ありがとうとの感謝の強い思いが出てきて、次第に不安が始まりました。

実は彼女との会話の中で、
過去の私は厳しくて怖い時期があったと聞かされていたのです。

しかし彼女にとっては、
その厳しかった理由が今回の話でわかったと、肯定的に捉えた話だったのですが、
その言葉は、私には小さなものでしかありませんでした。

彼女の言った「過去の私は厳しくて怖い」が膨らみだし、
今までの私は、人にどれだけの嫌な思いをさせていたのだろう
と、考えがそちらに向いていきました。

思い出す相手は、彼女だけでなく、それまでの友人・知人たちと、
自分が好きでつき合ってきた人たちへの思いが、頭の中でグルグルとし続けます。

不安は段々と膨れ上がり、

もう迷惑をかけたくない。自分という存在が関わると迷惑をかけてしまう。
人と関わって、人の幸せを壊してしまうことが怖い。
何のために生まれたのか、生きるのが辛い。

と発展していきました。

これは、他人のたった一言「過去の私は厳しくて怖い」を自分の否定に繋げて、自分のすべてがダメで、生きる価値にまで発展させる、0%か100%の二極化思考です。

そして、『人が私を怖く感じること=人への迷惑』と、問題を妄想で歪めて拡張させています。

これらの中には、自分自身が自分に対する評価は一つも入っていません。
相手の一言で左右された他人軸の状態です。

自分が受け入れられたことで、自己否定が強まり、見捨てられるのではないかとの不安から、妄想を大きくしていくのです。

(現れていた問題:二極化思考、妄想、他人軸、見捨てられ不安)

この頃は、心の回復に取り組んでから8ヶ月が経過して、随分と変化が出てきていた頃なのですが、
まだまだ自分というものが、ありませんでしたね。

それまで支障のない社会生活を送ってきたことを考えると、強い力で恐怖を抑圧していたとわかります。

2.自己否定からの新たな気づき

当時から私が自分で強いなと思うところは、苦しんでも、そのままは終わらないところです。

苦しい状況を打破するために、心理的視点でヒントを探し回ります。

そのときに、どう検索したかは覚えていませんが、
大きなヒントとなったのが、『大鶴和江先生(カズ姐さん)のブログ』でした。

注目していたキーワードが『自己肯定感だったのでしょうか。
当時の私のメモには、このような内容が残されています。

今回自分が捕われていたことは全て、完全な他人軸
↓↓↓

自己肯定感の欠如⇒自己否定ばかり
↓↓↓

自己肯定感を得るには?
 ・自分の感情を受け止める、この怖さは何から来ているか?と考える
 ・信じる相手がいること⇒これは現状は難しい
・軌道修正すること⇒これは親にすり込まれたパターンだと気づく
  →今回の、自分で恐れ悲しんている「迷惑かける自分」は
   =親に肯定されず否定しかされなかったことからきてる?
    自己否定の塊だから→自己肯定できないでいる

   これは父母がすり込んだことで、私のものじゃない!!

『自己肯定感を得るには?』の3つ目の『親にすり込まれたパターン』というのが、
当時の私には、目からウロコの話でした。

自分が感じている感覚は、
本来の自分が持っているものでなく、親の言動により不要に持たされたもの

という考え方です。

そして、嫌な感覚になったときに、
これは本来の自分のモノか、親から持たされたモノか
を切り分けて、自分のものでないときは、意識を軌道修正する

といったことを、このときに理解しました。

この理解を得たあと、
妄想を膨らませて自己否定ばかりしていた自分の気持ちを、持ち直しました。

自分を信じよう。良くなると信じよう。
私を受け止めてくれた人にも、私が良くなると信じてほしい。
私が良くなることが、私に時間を割いてくれる人への恩返しになる。

こんな思いになっていたようです。

本当は、「恩返し」の言葉も、
まだまだ不要な罪悪感で一杯だったから、出てくる言葉なんですけどね。

3.今回のまとめ

今回の話を、まとめます。

人に受け止められる経験に乏しく、心の問題を抱えている人は、
人に受け止められると、安心感を感じると同時に、自分を否定する感情が出てくる
根底には人への恐怖があります。

今回の話の中では、
二極化思考、妄想、他人軸、見捨てられ不安を使って、自己否定を強化していました。

自己否定から抜け出すヒントが次のことです。

他人の言葉で妄想を膨らまし、
感情を大きく揺さぶられるような他人軸は、自己肯定感の欠如からきている。

自己肯定感を育てるには

・自分の中で起こっていることを知り、自分の感情・感覚を感じる

・自分の心の安全基地(信頼できる人)を持つ

・自分に湧き上がる感情や思いを、すべて自分のものと思い込まなくていい
 親にすり込まれたことであるか?を考えて、
 そうであれば「自分のものでない!!」と手放す感覚を持つ

このような意識を持つことで、変化へと繋がっていきます。

そして今回参考にした当時のメモに、もう一つ書いてあったことがあります。

人と接することでしか、見えないことがある。

心の回復は、身動きせずに閉じこもっているだけでは、何も変わりません。
行動することで、自分が何を恐れているのかが、わかってきます。

自分を知ることが、回復のスタートになるのです。

今回は、私の心の回復過程の経験談から、書いてみました。

心の問題は、解決に向かって自分が主体的に取り組むことで、大きく変化していきます。

自分の力を信じて、頑張っていきましょう(^^)/

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二極化思考の話
自分軸と他人軸の話
見捨てられ不安の話