苦労人を演じる人と裏方で支える人の心理

こんにちは

名古屋で活動中。
心理セラピストの水野まこです。

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って
生き辛さの原因を探り、自分を取り戻すお手伝いをしています。

新型コロナウィルスでは、一斉休校などの急な世の中の動きに困惑したり、
経済のダメージも今後大きくなっていくのかと、不安が増すばかりです。

でも今は、私も満員電車を避けて時差出勤をしているなど、
感染拡大防止の対策として自分ができることをするしかありません。

夏には楽しみだった東京オリンピックも控えていますしね。
無理なく開催に至ってほしいです。

少しでも早く収束していくことを願うばかりです。 

さて今日の話題ですが、 苦労人についてです。 

苦労人と言っても 災難ばかりに巡り合って、本当に苦労の連続という人ではありません。
災難を自分から拾いに行ったり、小さな苦労話を大きく作り上げたりする人のことです。

言い換えれば「苦労人を演じる人」、
そして苦労人を演じる人の傍には、 舞台を作り上げる裏方さんがいます。 

苦労話は聞き飽きた。そんな風に思える相手が周りにいませんか?

今日は、なぜあの人が苦労ばかり背負いこむのか考えてみたいと思います。

1.苦労人を輝かせるために裏方をやっていませんか

いきなり私の話になりますが、私の母は苦労人でした。

私が自分で記憶にないほど小さな時から、
母が苦労しているとの思い込みが、私の中にあったと思います。

我が家にはお金がない、お母さんが働きに出ないと、お母さんが困る。
だから「一人でお留守番をしているよ」というような健気な発言を、
幼いながらに私はしていたそうです。

この話は大人になってから、母によって聞かされました。

本当かどうかはわかりません。でも母の中では
「苦労する母と、それを気遣う幼い娘」の美談として記憶に残っているようです。

が、 しかしです。

母の苦労は、私が幼い時代だけに終わりませんでした。

子供達が完全に自立して大人になっても、母の苦労は無くなりません

お金の不安にとどまらず、
家族の〇〇が面倒をかける、あの子が困らす、と
ほぼ一年中、永遠に続いていたのです。 

それはまるで、苦労を好んで生きているようなものです。

私はずっと、苦労する母を助けたいと思って生きてきました。
だから母がこぼす不平不満を聞きながら、母を励まして、
裏方として、目立たないところで、ひっそりと母を支えていました。

それが当時の私にとっては、
母の関心を得られるといった幸せな生き方だったのでしょう。 

が、が、しかしです。

この苦労人の母を、舞台女優と例えましょう。

苦労人を演じる母と、裏方の私の関係性。
決して美談なんかではありません!!

幼い頃から、親子逆転の役割で、子供の私が母を支えている状態です。

支える側の子供にとって、 習慣化してしまったこの生き方は、
大人になって、友人だったり、恋人だったりに対しても、
同じ支える側の立場に回ろうとしてしまいます。 

次の項では、苦労人を演じる舞台女優と裏方の中で、
どのような心理的やりとりが起こっているのか、詳しく見ていきたいと思います。 

2.苦労人を演じる人と裏方の関係性

ミュンヒハウゼン症候群、悲劇のヒロイン症候群など、
他人の注目を浴びるために自分を不幸な立場においやるといった、
心理的問題を抱えた人たちがいます。

※ミュンヒハウゼン症候群は、周囲の同情や関心を引くために、自分を傷つけたり、多量の薬を飲んで病気のふりをしたりするもの

ミュンヒハウゼン症候群のように精神疾患と言われるまで行かないにしても、
自分を認めてもらうために過剰に自分を演出をしたりする人は、
身近なところに、いるのではないでしょうか。

演じる側にとって、注目してくれる観客がいなければ、 演じる意味はありません。
そして観客だけでなく、自分を女優として輝かせてくれる裏方の存在が必要なのです。

苦労を演じている人は、本来自分一人では苦労を背負いきれない人です。
だから誰かに頼り支えてもらうことで、苦労を背負っている人を演じられるのです。

苦労を演じる人の近くには、支える裏方がいます。
裏方の苦労は、他の人には気づかれることなく、主演女優の輝かしい苦労人の演技が称賛されます。

代理ミュンヒハウゼン症候群がいい例ではないでしょうか。

主演女優は母親、裏方は病気にさせられる子供。
実際には子供の方が病気を負わされて、本来の自分を損なうといった苦労をしているのに、
称賛されるのは、病気の子供を支え苦労人である母親の方です。
母親は、健康体のまま、多くの称賛を得られます。もちろん演技が成功している間の話ですが。

このように苦労人を演じる人には、
人から注目を浴びることで、大きなメリットがあります。
次のようなメリットがあるのではないでしょうか。

・人から優しくされることで、愛情の枯渇感を埋められる

・人から賞賛されることで、無価値感を埋められる

・裏方からエネルギーを吸い取ることで、自分が元気でいられる

・世間を欺き、裏方を思うように扱うことで、万能感を得られる

・裏方に依存することで、寂しさを紛らわすことができる

このように称賛や慰めを欲しがる裏には、自身の心の問題が隠れています。
愛情飢餓、無価値観など、外へ求め、得ることで、埋めようとします。

しかしこれらは、 一時的に埋めることができても、永久的に埋まるものではありません。
だから終わることなく演じ続けて、そして裏方にとっては、奉仕し続ける日々が続くのです。 

では裏方にはメリットがあるのでしょうか。

裏方を引き受けることに、どのような心理状態が働いているのか。
次の項で見ていきたいと思います。 

3.苦労人を支える人の中で起こっていること

裏方をしてきた私の場合、支えるのは母だけでなく、
友人との間にも同じような関係が起こっていました。

私が社会人になってすぐの頃、
私自身が人に依存的で、かつ見捨てられ不安が強かった頃の話です。

友人Aちゃんは、たいへん気性の激しい子でした。
嬉しいことがあると素直に喜び、嫌なことがあると、仕事中だろうと不機嫌な顔をします。
でもその素直な自己表現が可愛らしく、男性に、とても人気がありました。

Aちゃんとは、旅行に行ったり、遊んだりと、楽しいことをするには、一緒にいて楽しい人です。でもAちゃんに不幸が訪れると、たちまち悲劇のヒロインが登場します。 

Aちゃんは、彼と何度もケンカ別れをしては、よりを戻すことを繰り返していました。
ケンカして別れ話になると、私に電話がかかってきます。
電話の向こうのAちゃんは、混乱し、”もう死にたーい”の勢いです。

私はAちゃんの話を聞き、慰めながら、Aちゃんの気持ちが落ち着くのを待ちます。
一通り話を出し切ると、Aちゃんは落ち着きを取り戻し、私は安心します。

その後日、Aちゃんは元気になっただろうか?と、私はずっと気にかけています。
そして再び話す機会がある時に、「元気になった?」と聞くと、
Aちゃんは「よりが戻ったよ」と、あっさり言います。
いやいや、戻ったって一言くれればいいのに。そう思いつつも言葉を飲み込んでいました。

そして一か月も経たない内に、また同じことが起こります。
たとえ私が「デート中で後にしたい」と告げても、Aちゃんの興奮は収まりません。
私の話は耳に入らず、悲劇のヒロインを演じ続けます。

何度も繰り返して、その内、私から離れて行きました。

この例は、友人Aちゃんとの話ですが、
私には他の何人かともAちゃんと同じような関係になったことがあります。

これは、私の対人運が悪かった、ということではありません。
明らかに、私の母と私自身の関係性を再現していました。

私の中で、次のことが、繰り返し起こっていたのです。

(1) 目の前の不幸そうな人を無視できない
 (見て見ぬふりは罪悪感が揺さぶられる)

(2) 自分が慰めることで、相手が元気になってくれることを期待する

(3) 相手が束の間に取り戻した元気で、自分が役に立ったと安心する
  →でも相手はすぐに戻り、何度も同じことを繰り返します

(4) 何度も繰り返して、相手が完全に立ち直るのは無理だと諦めるが、
 相手が反省の言葉を口にしたり、別の不幸そうな人を見るとまた期待してしまう

自分でなぜこのパターンを繰り返してしまうのか、わかっていませんでした。

でも心理的な反応を見ていく中で、幼少期の母との関係のパターンから、
人に元気を与えることを自分の役割のように、信じ込んでいたのです。

自分の時間や感情を犠牲にしてでも、相手にエネルギー注いて元気になってもらう
そうすることで、満たされていない母との愛着関係を埋めようとしていたと思います。

でもそれは、相手の演技にスポットライトをあてる行為です。
相手は気持ちよく演技し、ますます私を裏方に使い続けます。

私は、いつか元気になってくれるだろうと期待しつつも、
本当に元気になるわけないと諦める気持ちとの間で葛藤しながら、
母だけでなく他人を使って同じことを繰り返していたのです。

人にエネルギーを注ぐことを繰り返すと、問題を深刻にしていきます。

エネルギーを捧げている側が、段々と疲れ果てて、生きる気力を失っていきます。

私が、自分の条件反射のような繰り返しに気づいたとき

誰のための人生なのか。
人にエネルギーを注ぎ、疲弊しきる、そんな悲しい生き方はやめたい。
そのような気持が私を立ち直らせてくれました。

4.裏方は必要ない、自分が自分の人生の主演になろう

誰かの人生の裏方をやる見返りとして、
いつか相手が苦労人生から抜け出してくれるだろうという期待は、いつまでも叶わないでしょう。

そもそも、こちらの力で相手が変わるかどうかは、相手次第なのです。

相手が自ら変わる気がなければ、こちらがいくら頑張っても変わりません。
そのことに気づいたのであれば、もう誰かの人生の裏方をやる意味がないはずです。

誰かの人生よりも、自分の人生はどうなっているのでしょうか。

自分の人生の主演は、きちんと役割を果たしているのでしょうか。

自分を生きるなら、そのことを考えなくてはいけません。

自分の人生の主演を演じる。
それが自分らしく生きることなのだと思います。

必要なことは

・人を支える立場を降りると決断する

・誰かを支えなくても、その相手には自分で生きる力があると信じる

それだけです

ただ簡単には、自分の習性を変えられないことも経験済みです。

根底に心理的な問題を抱えている場合、
反射的に人のお世話をしてしまうという役割が働いてしまいます。

これは、
・満たされなかった愛情を埋めたい
・自分の存在価値を埋めたい
など、自分の中の根深い問題と紐づいています。

この問題を解決するのには、心理的なアプローチが必要になります。

反射的に、人を支えるといったお世話をしてしまう場合に、
自分の中で何が起こっているのかを考えるところから始まります。

もし自分が苦労人を演じていると気づいた場合は
自分は何を求めているのか、求めないと何が起こるのか
と考えるところから始めるといいと思います。

自分のために生きる人生を取り戻していきましょう。

リトリーブサイコセラピー基礎講座が開催されます。
自分のことを知り、自分らしく生きることを学んでいける場所です。
大阪開催は2020年の最後になります。是非ご検討くださいね。

今日はここまでです。ありがとうございました(^^)/